予期もせず遺影となったお話:撮影とその後
2020年10月31日
友人、久保重美さんを看取らせていただきました。
事の始まりは、ワンダフルワールドのHPの広告撮影を、姉の久保久美さんにお手伝い頂いたことです……。
遡る事、10月8日
ワンダフルワールドの撮影に協力してもらった久美さんから、
妹、重美さんの「顔写真」を撮ってくれないかとラインで頼まれました。
※ちなみに久美さんは、HP(https://wonderfulworld.website)の和服を着た女性です。
すでにその時、重美さんが病気である事は知っておりましたが、余命が幾ばくも無い事は知りませんでした。
なぜなら、その1ヶ月前ぐらい前に、道端で仕事帰りの重美さんに偶然会い、立ち話をしたばかりだったからです。
撮影のことは、喜んで引き受けさせて頂きました。もちろん当初は仕事として引き受けるつもりはなく、友人として撮影するつもりでいました。しかし後に、重美さんご本人のお申し出もあり、仕事として引き受けさせて頂くことになりました。
10月13日
重美さんとの長年の友人でもあるヘアメイクの院南紀子さんも
久保家に来て重美さんのヘアメイクをしてくれました。
具合の悪さなんて全く感じない様子(院南さんのヘアメイクのお陰ですね!)の重美さんと久美さん、印南さん、私の四人で「顔写真」の撮影会となりました。
彼女自身は遺影のつもりだったようなのですが、当時、私の中ではまだ回復できる可能性が十分あるのだろうと勝手に思い込んでいました。
久美さんが仕事とはいえ遺影を撮ったのを重美さんは知り、「自分も撮りたい」と思ったのだろうと……。
病気で塞ぎがちな重美さんに、気分転換の意味で「顔写真」の撮影を頼んだのだろうと、勝手に解釈していました。
酸素吸入器を外したり付けたりしましたが、撮影は大変和やかに、そして楽しい雰囲気で行われました。重美さんも照れながら自分の着たかった衣装を着て、とても素敵なメイクをしてもらい、意気揚々とレンズに向かってくれました。
家族の一員である飼い猫の「海」と「大地」も一緒に写ってくれました。
撮影場所は最初から自宅と決めていたそうです。きっと重美さんにとっては、大好きな姉の久美さんと過ごした部屋が一番の思い出だったのでしょう(もちろん体調の事もあったと思いますが……)。
後から聞いたのですが、撮影の2日前には呼吸苦で急遽医師を呼び、腹水抜くなど、撮影は難しい状態だったそうです。実際、本人歩くことはもちろん、会話もできない状態だったそうです。それが撮影当日に驚くほど元気になったのです。
「撮影できて本当に良かった」と、撮影の翌日に久美さんからメールを頂きました。
その後、作業を続けて、ようやく重美さんに写真を届ける準備ができた当日のこと。
━━━10月31日朝、目覚めると、姉の久美さんからの2通のラインが届いていました。
午前3時6分
「ノリちゃん、こんばんは
早くてすみません。
写真はそろそろ出来た頃かな?
重美が楽しみしています」
(※ノリちゃんは私の事です)
午前6時16分
「波はあるけど、呼吸困難で薬の量が増えたので
朦朧としている事が多くなり、昨夜は今日危ないとも看護師に言われました。
今は寝ています」
後に知ったのですが、このとき重美さんはすでに終末医療の段階で、「最期は自宅で」と、退院して自宅で過ごしていたのです。
ラインを見て、とにかくすぐに、重美さんの元へ向かいました。
7時半頃に到着したとき、重美さんはテレビを見ていました。意識が朦朧としているようにも見えましたが、彼女と目が合いました。
私は急いでプロラボ(現像所)に行って入稿していた写真を受け取り、それを額装して、再び重美さんの元へ向かいました。重美さんはテレビを見ていました。意識がはっきりしていたのか、分かりませんが。
写真を見せると(本当に見ていたのか分かりませんが)「うん、うん、」と頷いてくれました。
頷いてくれたように感じただけかもしれません。
重美さんはその一時間後、そっと息を引き取りました。
久美さんがこのブログのことを知り、「機会があれば、重美の遺影をみんなに見てもらいたい。重美もきっと喜ぶと思うから」と言ってくれました。
確かに重美さんは、活発で人気者の姉を見ていて、人前に立ちたかったけどそれが出来ず、そんな姉を誇りに思い、憧れていたと思います。
素敵な遺影をみんなに見てもらいたく、そしておそらく、重美さんも喜んでくれるだろうと、ブログにアップすることにしました。
私自身、彼女と過ごした時間が多かったので、何から話していいのか整理がつかない部分は多々あるのですが……。
きっと、空の上で笑って「頑張りなっ!!」て見てくれていると思います。
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